第二孤児院チェンゲラの家

50人が住める『孤児の家』建築中断!

神様の憐れみと恵みにより、この孤児院は完成に向かって建設中です!2019/10

詳しくは ⇒ 彼女の観た不思議な夢の話し
  https://note.com/estart/n/n04a11eb91c22

ビデオは ⇒
 
 https://helpchild.jp/restartednewhouse/

 

 

今年3月26日、NGO初期段階の申請にようやくOKをもらいました。しかし、こどもたちの家がまだ建ちません。この家は、次のNGO申請ステップに進むために家が必要なのです。

もし、お忙しかったらこのビデオだけでもご覧ください。これは14分で観れます。https://vimeo.com/358491920/

~~~ 目 次 ~~~
■ なぜ始まったのか?
■ なぜ子供を助けるのか?
   なぜウガンダなのか?
   なぜ子供を助けるのか?
   大家族で住むことは良いことか?
   自分たちの家があるとなぜ良いのですか?
   エスタは聖書を子供達に読ませますが、それは良い事ですか?
■ なぜ家が欲しいのか?
■ なぜ建築中断したのか?
■ 残りの建築費用は?
■ ここにはどんな子が住むの?
■ 孤児院に来た最初の反応は?
■ エスタはどんな人?
■ TINEグループについて
■ SFBCについて
■ SFBCとTINEの実績
■ 食料事情
■ 最後に筆者について

 

私たちはこの家の完成を心から待ち望んでいます。 We look forward to the completion of this house.


 なぜ始まったのか?

私は奈良県在住の藤重 悟(ふじしげ さとる)と申します。私は縁あってアフリカはウガンダのストリートチルドレンを助けているグループ「ティン:TINE」と出会いました。TINEの代表はエスタ・タカと言います。

 Namutebi Ester Taka 子供を助け始めた当初の写真

彼女は母を知らず5才のときに祖母に捨てられて路地で住む孤児になりました。

生きるために子供ギャングになり、盗みは当たり前、マリファナを栽培して売りさばくのも当たり前、バーで男をだましてお金を盗るのも当たり前、15才で自分の子供と引き離され、首吊り自殺するがロープが切れてしまいした。

死ねないし生きる希望を無くしていた16才の時にアメリカの宣教師カレンさんに助けられ、せっかく運命の出会いをしていたのだけれど、女友達に誘われてお金儲けのためにスーダンへ渡ってしまいます。

しかしその女友達に騙されて結局一文無しになり、また嘘と盗みとマリファナ売買の生活に疲れはて、苦渋の人生を終わらせるために服毒自殺を図り3日間眠ります。

その先の人生も、友達はHIVで死ぬし、好きだったストリートの子供は撃たれて死ぬし、男と共同で大きくマリファナビジネスをすると、警察に追われる身になり村に隠れ、刑務所に囚われ、今度はホテルを襲撃し一緒だった子供は撃たれ、また強姦され出産し、子を救済所へ預け、また自殺を図ります。

21才になった彼女はカレンと偶然に再会! その時、カレンがエスタを見て、ぼろぼろに泣き出してしまったのです。カレンはエスタをずっとずっと探していたから。

自分の為にこんなに泣いてくれる人を見たのは生まれて初めてでした。カレンは自分の家にエスタをつれて帰り住み始め、沢山のことを何か月も、生きた言葉がほとばしるように教え続けました。

エスタの心の中の後悔と良心が膨れ上がり、大泣きし、自分が悪かったと神さま赦して下さいと詫びて、悪を完全に断ち切って、生まれ変わる約束をして、多くの孤児を助ける決心をし、

スラムの街の中央に立ち、真っ青なカンパラの空に向かって叫んだのです。

「 今度は私が,子どもたちを助ける!」

こうしてカンパラのスラムに新芽が出たのです。

 
そしてこれが現在のエスタ、なんだか生き生きしてます

 夜、空き家の片隅で寝る子供達

路地で住む子供達は悲惨です。特に少し大きな女の子は狙われますから、妊娠とエイズなど病気が恐怖です。 エスタは幸いエイズ検査で陰性でした。しかし2人の女の子をやむなく出産しました。起ったことは悪いことでしたがエスタは子供をとても愛して育てています。自分の子供も40人の子供と一緒に育てています。

 
エスタの子供トリニティちゃんと   

街の子供達は仕事も無く、毎日の食べ物のために盗むことしかできません。人のかばんや財布やカメラやスマートフォンなど、なんでも盗んでマーケットで売ります。 窃盗、低価格な薬物やアルコール、貧困不潔による病気で死ぬ子も多いですし、信号も無いのに車とバイクがものすごく多いので事故が多くなっています。 そしてシングルマザーが多いので交通事故で亡くなると子供達はすぐ路頭に迷います。また、出産して草むらなどに捨てる母親もいます。貧困で育てられないからです。 警察もそれを犯罪としませんし、捨て子や孤児がまるで当たり前のようになっています。政府や政治家、警察も不正の横行中間搾取が多くて私腹を肥やすばかりです。日本などから国際援助金を送ってもエスタ達のような弱小グループにまで届きません。 エスタは学校に行ったことはありませんが教育が悪いと言います。学校で教えることは決まったことを覚えさせるだけ自分で良し悪しを判断し考える力を持って欲しいと言います。だから子供の判断の基準となる愛をカレンのように聖書で教えています。 スラムの子供はたいていペットボトルを持っています。ボトルには空腹をまぎらわせるためにパンより安く売られている灯油やシンナーがしみこんだぼろ布が入っています。

この画像をクリックするとYoutube動画がみれます。短いですが現地のこの場の映像です 

エスタと一緒だったので行けましたが現地のざわついた雰囲気がそうとう怖いです。夜は何が起こるか想像するのも恐ろしいです。現在、ウガンダは外務省通達で危険度レベル1に指定されています。

エスタは優先的に体の弱っている子供を助けます。

ストリートチルドレン

助ける前に死んでいた子供です。

なぜ子供を助けるのか?

 その問いの前に、なぜウガンダなのか?

なぜウガンダなのか?

この問いに私はよく答えます。 日本風にひと言でいうと ”えん:” だと思います。たまたまその子がウガンダにいただけで、もし日本の孤児たちに出あっていたならば、その子供達を助けたでしょう。またこれからもそんなチャンスがあればSFBCは、そうしたいと思っています。 どこの国の子供でも同じです。みんな可愛いし、そんな子らが街の片隅でぼろ布のように寝ているのは見ていられません。 あえて言えばウガンダの方が助けやすいのかもしれません。それは二つの理由です。 1、物価が1/5~1/3(ものによります)なので、例えば、5万円支援すると言うことは25万~15万円の価値があります。これだけあれば40人の子供が養えます。日本では考えられないことです。それと、 2、福祉局や行政のルールや指導などがあったとしても緩くてからみがほぼありません。それは、エスタは貧困で悲惨な孤児に会うと、その日にすぐ連れて来て(日本では考えられません)食事をさせて服を着替えさせます。そしてアパートへ連れて行きます。ただ、悲惨な子供が多すぎて悲しいです。どうしても全員は無理ですから・・・

北部難民キャンプにて、エスタはみんなを連れて帰りたかったと言いました

なぜ子供を助けるのか?

はい、子供の人生を守るためです。エスタがカレンに気にかけてもらって助けられたように、その子供が大事だから気にかけて助けます。 子供一人ひとりの生活や勉学も大事ですが、一番の基礎となる『心』をよりよい状態にして守りたいと思っています。 よい心が育つならば、ウガンダの未来に明るい光が灯るでしょう。

大家族で住むことは良いことか?

はい、学びが多くて良い事です。 ストリートの子供達は群れる様にして徒党を組みますが、それは心からの集まりではなく、危険から逃れる習性の結果と言っても間違いではないと思います。 しかしエスタの所で住むのは安心感があります。みな似たような境遇の子供達です。ここには恐怖がありません。あるのは平安と安心です。ときには喧嘩もするでしょうが、みな神様を通じて兄弟、姉妹として家族になれるのです。

自分たちの家があるとなぜ良いのですか?

はい、帰る場所があるのは良い事です。 子供が大きくなって18才になるとエスタは子供が自立するように後押しします(言い方をかえると、仕事するように孤児院から追い出します) しかし、もし彼らが恋しくなったり恐ろしく困ったりするなら、育った家、帰る場所があるとすれば彼らにとって、大きな心の拠り所となります。 家にはそんな ” 力 ” があると思います。

エスタは聖書を子供達に読ませますが、それは良い事ですか?

ジュニア君は英語の聖書を読むことが出来るようになりました はい、英語の文章を学ぶよい教材でもあり、キリストの愛を知るよい本です。 聖書は世界でとても昔から最も読まれているベストセラーです。しかもウガンダのクリスチャン率は60%ですからまったく違和感がありません。(ちなみに日本は1%です) 子供達が親から学んでいかなった「愛」や「なぐさめ」や「いたわり」、そして悪についても学びます。 「シンナーなど中毒性のあるものは悪い」や「姦淫の悪」や「盗みの悪」や 自分が犯して来た『罪』について学ぶことができます。だから、それは彼らが悪い大人の真似をせず、悪の道から遠ざける良いことです。 私たちは子供達がやさしい心をもった、よい大人になることを心から願っています。そして彼らが、ウガンダの未来を変えて行く『良い樹の芽』になれば嬉しいなと思います。この家から巣立った子供達が、アフリカの大地に広がり、生きた水の川が流れる、きれいな森のようになると嬉しいです。

 

なぜ家が欲しいのか?

 すでに、いま40人の子供達がエスタのアパートに住んでいます。しかし賃料が高いのです。それは食料費と学費を足したよりも高いです。だから土地を買いました。そしてそこにこの新しい家を造ろうとしています。着工は2018年10月でした。建設が停滞したのは2019年5月です。

( 9月は推定値です。 11か月の平均値を使用しました。年齢などで複数の学校を使用しています。学校により学費をまとめて支払っているので変動しています)

私たちは多くの善意の方々から支援をいただき孤児の家をここまで造ることができました。

しかし、家の壁や窓を見て下さい。 それは完成していないことが判ります。 But look at the walls and windows of the house. You can see that it is not complete.

家の建築が途中でストップするなんて、 まったく日本では考えにくいことです。 わたしも信じられませんでした。

 どんなご質問でも遠慮なく helpchild.sfbc@gmail.com または、080-8852-6247 藤重までどうぞ

なぜ建築中断したのか?

ウガンダの家が中途半端で保留になってしまう理由は何ですか? 

家を建てる時、日本ではまず不動産を頼ると思います。 しかし、ウガンダにはその仲介企業が存在しません。

ではウガンダで家を建てるにはどうするのかというと、 自力で全ての業者に依頼し、 材料費・運送費・謝礼金を払います。 それは土台を作る人、 それはレンガを積む人、 それは屋根を作る人、 などなどへ依頼します。「土台をつくってほしいんだけど」とまず頼み、 「じゃあこんだけの材料が要る」と業者は提示します。 

その後自分で材料を買いに行き、 それを業者に渡し、 業者に謝礼金を支払い、 やっと土台が出来上がるのです。 それを繰り返して、 ようやく家が出来るわけですが、 費用の予算を上回った時、 家はたとえ中途半端でも投げ出されたままになります。

もう一歩で窓や壁や玄関などが出来た。 けれどお金が足りなかった。 予算を上回る費用が必要だった。 ウガンダでは家全体の見積もり業者もいません。 だからよくある光景なのです。

しかし、もう一つの原因があります。

それは、子供達の人数が増加したことです。 2018年8月の時点で30人でしたが2019年5月時点で40人となりました。 だから50人を限界と考えて、設計当初の建屋面積よりも大きく増築依頼しました。 それが大きな資金不足==建築停止の原因なのです 増築のことは、私たちSFBCも判っておらず適切なアドバイスが出来なかっことを後悔しています。しかし、できかけのこの家をなんとか完成させたいと思いました。 ですので今回このクラウドファンディングでみなさまに応援して頂けないかと考えたしだいです。

残りの建築費用は?

そこで、私たちSFBCは、エスタ達に建築完成までの残りの見積もりをするように依頼しました。エスタ達は、慣れない見積りをそれぞれのワーカーに聞いて回りました。それで出来上がったのが下記の表です。

 
完成に現地で必要な合計は、¥578,868円です! 

 

この金額に為替変動と加味して、このクラウドファンディングの手数料と送金手数料を加算します。

必要費用    ¥578,868-
為替変動 10%  ¥57,886-(不確定要素として)
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小計      ¥636,754-

 

小計      ¥636,754-
CF手数料22%   ¥140,086-(Redyforシンプルプラン手数料12%と税10%)
振込手数料      500-
送金手数料    ¥5,000-(消費税は2019年10月より10%に引上げ予定)
------------------------------------------
合計      ¥782,340- 

(為替変動は、不確定要素として加算しますが、もしプラスになったら、そのお金は全てエスタへ送ります。)
(CF手数料22%は、Redyforシンプルプラン手数料12%と、消費税10%として)
(消費税は2019年10月より10%に引上げ予定だからです)

      ¥780,000-     

これが今回集めたいクラウドファンディングの金額です。

ここにはどんな子が住むの?

未完成の家の中の子供達。Children in an unfinished house.

エスタのアパートには、 既に40人以上の子供達が来ています。 全員を紹介できないのは残念なのですが、 数人の子供達の話を聞く事ができます。

家まで小さなバスに乗れるだけのって満員で来たのです

この場所はアパートから離れているのでバスに乗せて全員を連れてくるのは残念ながら無理でした。 全員を紹介できないのは残念なのですが、数人の子供達の話を聞く事ができます。彼らの生い立ちと、彼らの夢を話してもらいました。

 

ジョセフィンちゃん15才

2018年2月、マサカ村でのキリストの援助活動の期間に小学7年生であるはずの彼女に出会いました。父親は家を出て行き、母は貧乏で4人も兄弟がいたので彼女は学校へも行くことができませんでした。長女の彼女は兄弟の学費ために働かなければならず、自分は3年間学校に通っていませんでした。

Q1:スラム街の何が嫌いだった? 小さいころからずっと仕事(児童労働)させられていました。それは兄弟を支えるためでした。みんな遊んでいるのにそれがとても辛かったです。

Q2:今は何が楽しい? ネットボールで遊ぶことよ。

Q3:大人になったら何になりたい? 保育士になりたいです!

私達は彼女の夢を叶えたいと思っています。

ジュニア君12才 
2017年3月、ジュニアは路上でサンディ君と一緒におり、 いつも生きる為に路上強盗とスリをしていました。2014年に小学3年生で学校を中退して、彼は薬物乱用にはまっていました。それは灯油とマリファナの使用です。ストリートで住む前、すでに父は母と別れて彼は父に見捨てられました。その後、彼は祖父と一緒に住みましたが祖父が殴るけるの拷問を辞めないので街に逃げることにしたのです。
Q1:スラム街の何が嫌いだった? 薬物のわるい影響を受けることだよ。
Q2:今は何が楽しい? エンターテイメントが楽しい!
Q3:大人になったら何になりたい? コメディアンになりたいです!
私達は彼の夢を叶えたいと思っています。
 
サンディ君15才
父親と別居した後、母親と一緒に暮らしていましたが、けれども母親は、彼を父親に送り返しました。しかし父の所へは行かずにストリートで住むことにしました。そして2017年3月のエスタ達と出会いました。2013年に小学5年生で学校を辞めて放棄された荒涼とした空き部屋に住んでいました。同類のストリートチルドレンの子供達から(部屋を避難所に使うために)宿泊費としてお金をせしめていました。また、(もちろん)泥棒をしていましたので、他人のポケットから盗む事や、スマートフォンを盗む、ハンドバックの強盗などをして生きて、薬物乱用にはまり、灯油とマリファナも吸っていました。
Q1:スラム街の何が嫌いだった? 警察や法執行機関、そして彼より年上の人に 殴られたり罰せられることが嫌でした。
Q2:今は何が楽しい? アクロバットと体操で遊ぶことが好き!
Q3:大人になったら何になりたい? ダンスパフォーマーが出来るDJになりたいです!
私達は彼の夢を叶えたいと思っています。


ダビアン君6才 4歳で麻薬中毒者になり誰も面倒をみてくれ・・・

パウリンちゃん10才 彼女は小学3年生から学校へ行けずにいま・・・

ザハラちゃん15才 彼女の父は暴力的で家族を養うことが・・・

プリンス君15才 彼は家を去ることを余儀なくされました・・・

ジョリーンちゃん4才 2018年に3歳の時に父親のところで母親に捨てられ・・・

私は、特にサンディ君とジュニア君と交流があり(渡来した時に別の小さなアパートで一緒に住んでいました)彼らふたりはとても仲良しでTINEに来る前から路上で友達でした。まるで本当の兄弟のようでした

クリックするとYouTube動画が観れます。

ストリートで暮らしていた頃はできませんでしたが、いまではジュニア君は本も読めるようになりました。エスタはみんなを、幼稚園や小学校、中学校へ通わせています。エスタ自身も字が書けませんでしたから彼らの劣等感が痛いほど解るのです。

孤児院に来た最初の反応は?

さて、街で長く住んでいる子供達が孤児院に連れて来られると最初、どのような反応を示すと思われますか?

  • 食事を思い切り食べすぎて吐いたりします。
  • 食事をあちこち犬のように隠します。
  • スラムに戻ってしまう子もいます。

毎日食事を出してもらえるのに、そのパンなど食料をあちこちに隠す子がいます。 まるで誰かから盗まれるのを恐れているかのようにです。3ヶ月から半年ほどするとその癖がなくなります。自分はここにいても良いのだと安心するのです。 スラム街が近いと、まれに孤児院から抜け出して街の暮らしに戻る子もまれいます。 その理由は、依存症になってしまっていて、シンナーや石油が欲しいからです。 もちろんエスタ達の施設では禁止です。エスタ達はかみさまに祈って一日でも早く依存症から立ち直り、子供らしい生活を送ってもらおうと思っています。 だから、エスタはカンパラ市内から、少し離れた土地を新しい家に選びました。 詳しい情報はここからご覧ください (SFBCの本サイトへ飛びます)

エスタはどんな人?

エスタ自身の声で語ってもらいましょう(以下、私==エスタです) ウガンダのキジョン村で生まれた私は、祖母に「あなたは私たちの家族ではないよ」と言われました。双子の兄アントニは飢えと病気で3ヶ月で死に、私は母親を知りませんでした。私とアントニが生まれて9ヶ月のときに父は、「おまえは家族では無い」と言って家を出てゆきました。(父は母が別の男性と関係した子供だと言いたかったのでしょう)祖母は残った私を5才になったときにカンパラ市内に連れて行きました。そして「水を買ってくるからこのベンチで待ってて、エスタ」と言いました。わたしは長い長い時間を泣いて待ちましたが、祖母は帰って来ませんでした。 ひとりの男性が近づいてきて「なぜ泣いてるの?」とたずねました。すべてを説明すると彼は私を彼の家に連れて行きました。 私はそこに泊まり彼の家族はとても幸せそうで良かったです。そして1週間がたったころ彼は仕事で家をしばらく離れることになりました。 すると彼の妻が私の服を脱ぐように言いつけ、殴りながら水を注いで、彼女は私に質問しました。「あんたの母親はだれ?」(妻は夫が別の女性に産ませた子供だと思ったのです) 私はほんとうのことを話しましたが彼女はそれをぜんぜん信じません。毎日殴られ、家の掃除、衣類の選択、料理、をさせられつづけました。 妻の夫が帰った時だけ妻は私を洗い新しい服を着せました。そして彼に何か話したらあんたを殺すと言いました。。。。。硬いコップで私を叩き始め、ナイフを取って私の耳の一部を切りました。。。。。 続きはこちらをお読みください 詳細実録

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(下記からは超概略です)

この後、事件が多すぎて多すぎて本当にこれでもかこれでもかと言う悲惨な人生を歩みます。 宣教師カレンさんに出会っても、彼女はまだ自分を呪い、マリファナにおぼれ神を呪い自分を嫌い自殺を何度も図ります。 強盗の手先になりホテルから金の袋を盗もうとしていたのですが、深夜彼女は自分だけ寝ていて、その間に彼女が連れていた子供3人が撃たれて死んでしまい、警察に追われ刑務所にも入ります。 友達ジェニファーの死は彼女にとってトラウマになった衝撃的な出来事でした。詳しいことはあまりに悲惨なことなので割愛しますが、エスタも病院に運ばれ霊安室に医者に死んだと思われて安置されてしまいます、奇跡的に息を吹き返したエスタは自問自答を繰り返します。 なぜ私は死ねないの? これはもしかしたら神様が "私に何かしなさい" と言ってるの? こんな私になにができると言うの? 私は許されない、私は罰を受けなければならない、私は罪深い駄目な人間だもの。 このころからエスタはだんだん人間が変わって行きました。自暴自棄だった人生に終止符を打つかのように、宣教師カレンと再会します。彼女の元で再び暮らし聖書から人生を教えてもらいます。 自分の罪に震えたエスタは、彼女によって損害を受けた人々一人ひとりに会いに行きます。そして心から詫びました、もちろん許されることではありませんが、それでもエスタは時間をかけて多くの人に「赦してください。ごめんなさい」と、謝りました。 そしてエスタを捨てた祖母の所へゆきました。祖母はまだ生きていました。祖母はエスタを捨てたことを後悔していました。祖母はエスタと再会できたことを心から喜び数日後に亡くなりました。それは非常に年老いていたけれど最期にあえました。 そしてエスタはスラム街に立ち、私はスラムの子供達を救うと神様に誓ったのです。 ひとり、そしてまたひとり、その子供の数は増えてゆきました。最初は自分の狭い暗いゲットで一緒に暮らしましたが、 エスタを助ける仲間も増えてゆきました。エスタは身分証明書を持っていなかったので困りましたが、不思議なことにはるばるアイルランドから助ける人が来ました。その彼の名前はパトリックです。 パトリックは様々な手続きを経て、彼女にパスポートを手配してくれました。そして少額ですが援助金もあつめてエスタにアパートも与えました。もちろん同時に子供達もアパート暮らしです! そしてパトリックはこの時、活動していた彼らをあつめて Tine on the mountain Ministries Uganda と命名して立ち上げました。

TINEの宣言書です

TINEグループについて

TINEは、Tine on the mountain Ministries Uganda が正式名称です(リンク先はFacebookです) 意味はウガンダの山の炎の奉仕です。キリストの教えに従った愛の活動をしています。TINEはアイルランド語で炎の意味です。炎でシンナー依存症や悪い習慣をぜんぶ焼き尽くします。そんな気持ちです。 エスタはこのTINEの代表者です。仲間も全員クリスチャンで、モーセ氏と医大生のジョエル君が中核となって働いています。左がモーセ氏で右がジョエル君です。真ん中がエスタです なんどもいいますが、今年3月26日に手続きの最初の段階を完了しました。家が完成すると、そしてTINEはウガンダ政府のNGO認定を正式に完了させる手続きをします。はれて認定されたら子供達に手当がいくらか出るはずです。このような非常に小さなグループを認めて頂ければ本当に嬉しく思います。

左モーセ、中央エスタ、右ジョエル

彼らはよく会議をしています。私たち日本のSFBCともインターネットで会議をします。

ウガンダでのミーティング 彼らはこの家の他に、二つの希望を持っています。 1、 土地を購入して子供達と一緒に農業をする。

ウガンダは赤道直下ですが年中25℃くらいで過ごしやすく日本の夏よりも涼しいです。それは土地の標高が1200mもあるからです。水源がなかなか無いのが欠点ですが井戸を掘ればなんとかなります。いろいろな作物が採れます。イモ類、トウモロコシ、トマトなどなど沢山作れます。都市カンパラを離れて田舎へ行くと土地もかなり安いです(日本人から見ればですが)。例えば100万円あれば東京ドームの広さの土地が買えます。そうなれば、家畜の牛やヤギやニワトリも飼えますし卵や肉を食べることもできるしマーケットで販売することもできます。

2、 子供達のエンターテイメント性の向上

子供達のエンターテイメント性を向上させて彼らの糧の手段の一つとならないかと考えています。それは絵や工芸品の作成です。

子供達が作った作品です そしてもう一人の重要人物が、宣教師のエレミア(Jeremiah)氏です。彼がエスタに洗礼をしました。いまでも彼とはあっちこっち一緒にゆく仲です。エレミアはエスタの大きな心の支えとなっています。2019年末にエスタから聞いたSFBCを訪ねて初来日予定です。

 中央がエレミヤ(Jeremiah)です

SFBCについて

ここまで記載しました全ての情報や会計情報もなにもかもこのSFBCのWebサイトで確認することができます。 https://helpchild.jp 一般社団法人SFBC(Support For Blessed Children)が正式名称であり、『子供を助ける』をテーマにしています。 中核メンバーはサンフランシスコ出身のアメリカ人のトニー(写真右)と、同じくシアトル出身のアメリカ人の大阪在住20年のロバート(写真左)と、代表のわたくしサトル(中央)の3人です。 2018年11月29日に法人登記しました。SFBCは完全なる非営利(詳しい方ならこの意味が判ると思います)であり、全員無給での奉仕活動です。ですので法人税、県税、市税などすべての税金が免除されています。 三人とエスタの出会いなどですが、ロバートは私の妻の病気の為に誠心誠意尽くしてくれたのを機に心から信頼できるなんでも話せる大親友として付き合っています。わたしとエスタの出会いはこのロバートがキッカケを作ってくれました。エスタと色々と会話をしている内に実際、現地を見たくなりその夏に単身ウガンダへ行きました。そしてこの眼で実情をみた時に私は彼らを支援することを決めました。それは彼らが信頼に値し、支援するに値する活動をしていたからです。帰国して3ヶ後に法人登記を完了し、徐々に支援の輪を広げつつありますが、この小さな生まれたばかりの団体が少しでも認知され根をはるように頑張り続けたいと思っています。トニーはロバートの信頼する友人で近所に住んでいます。下記の写真は今年2月に三人で岡山へ車で行った時のものです。正直、三人とも本当に貧乏です。ロバートの仕事は小さな英会話スクールをしています。別の所でトニーも英会話を教える先生です。私はもともとエンジニアを36年やっていましたが今年2月に早期退職した59歳です。

詳細はこちらをご覧ください。SFBCについて

Facebookページはこちらです。 https://www.facebook.com/SFBC-Support-For-Blessed-Children-324694951504518/

SFBCとTINEの実績

SFBCはエスタの子供達へ毎月支援金を送っています。賛同して支援金をくださる方はまだ10人にも満たない状況ですが毎月5万円を送ることが9ヶ月間続いています。本当に感謝しています。

SFBCからUganda TINEへの送金実績
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送金日  送金会社 受取口座 送金金額(手数料含まず)
2018/09/28 PayForex TINE 5237.00 USD
2018/11/21 PayForex TINE 449.00 USD
2019/01/07 PayForex TINE 479.00 USD
2019/01/28 PayForex TINE 451.96 USD
2019/02/27 PayForex TINE 406.25 USD
2019/03/28 PayForex TINE 402.95 USD
2019/04/25 PayForex TINE 410.87 USD
2019/05/28 PayForex TINE 411.13 USD
2019/06/25 PayForex TINE 411.07 USD
2019/07/30 PayForex TINE 411.95 USD
2019/08/27 PayForex TINE 424.49 USD
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ここまでの小計 $9495.67USD ≒ ¥1,044,524円 (1USD=110円として計算)

これら送金には送金手数料が毎月かかりますが、この金額には含めていません。手数料は5万円に対して5千円もします。(送金金額に関係なく5千円です) 私達はいつもSFBCのゆうちょから送金会社PayForexを利用してウガンダの正式な名前の知られた銀行へ送金しています。口座は下記のとおりです。なのであなたは直接送金することもできます。 銀行名:Centenary Rural Development Bank Limited. Branch : MAPEERA KAMPALA Swift code : CERBUGKA Account No. 3100056458 Account Name : Tine on the Mountain Branch Mapeera Kampala 代表者は、Namutebi Ester Takaです。 これに対してTINEは詳細な会計報告書を送って来ます (ただし、dateが年/日/月と日/月/年が混じっているので閲覧時注意)

これは今年5月までのものですが、考察(2018/10~2019/4)しますと、

 SFBCからの同期間の送金額合計が $7,922USD(871,420円)、同期間のTINE出費合計が $8526USD(937,860円)。その差額は$604USD(6万6千円)で、TINEがSFBC以外の献金を受けている可能性を示唆しており、忠実に会計処理がなされていたと考え、この事実からもSFBCとしては、TINEを大いに信頼できるミニストリー(奉仕活動団体)として評価しています。

分析してみました。

1について:家賃(現在アパートに孤児40人)が全体の30%(280,500-なので期間6ヶ月で割ると、46,750円/月(これには初期が含まれているので毎月はもっと安い)なぜなら毎月出費は5万円以下だから)
6について:新しい家「 New House」の建築費用で、全体の23%(217,500-)を占めます。2019年5月、この孤児の為の「New House 」は、資金不足により建築一時停止中です。
3について:学費が17%(162,600-なので期間6ヶ月で割ると、¥27,100/月)
大きなウェイトを占めるのは2018/10月(Oct-18)の新家建築:NewHouse(ここで皆様にお願いしている建築途中の家のことです)と、現在賃貸している家賃(アパート)と、学費であることが判ります。 NewHouseが完成すると家賃がゼロになることが期待できます。それ以外の、食費や衣類、交通費、宣教活動費(内容はほぼ交通費)が低比率なのが判ります。 食料や交通費が安いのはウガンダの物価と、彼らがあまり栄養のある良い食材を選んでいないのではないかと考えてます。もっと良い物を食べて欲しいと思います。衣類が安いのはウガンダの気候が常に25℃程度で安定していることが大きな要因です。

どんな事でも、 helpchild.sfbc@gmail.com または、080-8852-6247 藤重までどうぞ

食料事情

食料はマーケットで調達します。ものによって違いますが日本のだいたい1/5かもしれません。食料物価は安いですがプラスチック製品(ゴミばこ等)は日本と大差ありません。

↑ 黄色のものはバナナです。あずき色のは豆です。白いのは芋です。 このようにバナナや豆や芋が主食です。ナンのような焼きパンもよく出て来ますが炭水化物ばかりです。牛肉や鶏肉などは贅沢品なのです。

プレゼント

プレゼントA: この家が完成したあかつきには、内壁にご支援者様のお名前をローマ字で刻ませていただきます。それをみんなで写真を撮ってお送りいたします。ただ、ウガンダのレンガはとてももろいので、レンガに文字を刻むのは困難ですので別の何かの方法で実現することを考えます。

プレゼントB: エスタがあなたの名前とエスタの名前を書いて感謝の意を表します。あるいは絵を子供達と描くかもしれません。

プレゼントC: 皆で感謝の歌をみなさま限定で唄います。そのビデオを差し上げます。

プレゼントD: サンクスメール。子供達に書いてもらいます。しかし字がきたなくて読めないかもしれません。

プレゼントE: もしウガンダへ行けるならばぜひ来てください。そしてあなたが支援してくれた家で泊まっていってください。あなたは子供達に取り囲まれて歓迎されること請け合いです!

最後に筆者について

人生は楽しくまだ見ぬ世界を旅したいと思っています。インターネット出現以来、世界はとても小さくなったのかも知れません。実、私はまともに英会話ができません。情けないほどカタコトで中学生よりしゃべれません。なのにエスタと会話ができるのは翻訳ソフトのおかけです。これがなかったらここまで来れなかったのは明らかです。しかし現地でいちいち翻訳ソフトは使えません。もうカタコトだろうがなんだろうが英語しか通じないのですからゼスチャー総動員で”会話”するのです。加えてエスタの英語も(彼女の書いてくる英語の文章でわかったのですが)ロバートでも理解できない時もあるのです。でも、同じ人間同士がまじかで”はなす”と気持ちが通じて彼女の言いたいことが解るのです。人って言葉は違っても感情は同じだし温かいなぁとつくづく思いました。もちろんインターネット会議など込み入った難しい会話は翻訳ソフトを使ったり、ロバート達に仲介してもらっています。いつもメッセンジャーと言うアプリで個別に会話したり、グループで会議したりします。場所もそれぞれの家から可能です。地球の裏側とリアルタイムで話せる世界が来るなんて想像していなかったです。素晴らしいと賞賛すると同時に、いまだ貧困と戦争が解決できない私達人類にはがゆい思いがあふれます。しかし目の前にある解決できるかも知れない問題に挑戦できることは人生の喜びかもしれません。

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エスタの娘のトリニティちゃんとツーショット!元気でよい大人になってくれたらこの上なく嬉しいです。

妻の残した画材をプレゼントしたら、日本のお菓子を食べながらみんなで絵を描いてくれました。

色使いが明るいのがイイです。旗の絵が多かったです。

みんなが寝ているベッドです。一つのベッドに2~3人で寝ます。下は土間です。だから雨季は最悪です。スリッパや裸足で出入りする子供のベッドは泥で真っ黒になります。だから気休めですが白いシーツを買ってあげました。しかしすぐに真っ黒になってしまうことでしょう。それでもいいのです。洗えばキレイになりますし。しかし洗濯機は普及していませんので全部手洗いです。

以上です。最後までお読みくださり本当にありがとうございました。

Thank you so match!

-第二孤児院チェンゲラの家

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