エスタ・タカ

EsterTakaと言う女性の証し本

 

光を掴んだ、捨て子少女の体験記Amazonにて発売中

毎日自殺を考えていた。辛い人生を終わらせたかった

・・・・ まさかこんなごみのような私が、出会ったのは、、

 

 この本は、ウガンダの首都Kampalaに住むエスタ・タカの半生を綴ったものです。彼女は2016年の25歳の時に、ホームレスの子供達16人とKampalaのMankindye地区のKisenyiのスラム街で暮らすことを始めました。それは錆びたトタン屋根の小さな小屋でした。ベッドも無く子供たちとみんなで土の床に眠り、食事の心配はいつもあって、雨が降っても外の炭火鍋で調理しなければならない生活でした。それでも、彼女は生きる幸せを本当にかみしめていました。そして2019年2月には、先ほどのスラム区域から数キロ離れた、Luwafu区域に、ちょっとした広場のような中庭付きの、大きめの借家(家賃は3万円弱で、少数の支援者が食費や学費などを支えています)に、46人の子供達と若い母親10人と一緒に暮らせるようになりました。子供達は学校へ行き学び、食事に困らず、ときには庭で遊びダンスをしています。夜にはみんなで語り踊り聖書を読みます。子供たちは英語(ウガンダの公用語は英語)の読み書きも教えてもらうことができます。どれも路上にいる時には考えられなかった人生の変化です。

スラムに子供が捨てられる理由はいくつかあります。病気や交通事故などの親の死、親の飲酒など放蕩による放棄、親の貧困による放棄、離婚による放棄、強姦による出産などが主な理由です。育てようにも経済力のない若い母親が赤子を捨てて行き、あるいは行くあてのない若い母親が栄養失調になり弱った子供と行き倒れになります。なんとか少年少女に育った子供は食べ物を求めて物乞いや盗品を売って生活し、飢えを紛らわすためにマリファナやシンナーや灯油を吸い、夜は危険な路地で眠るのです。そして彼らが大人になるとねじ曲がった心が悪事を働かせたりするのです。そうです彼らは住民登録も無い邪魔で迷惑で世間からまったく不要な汚いゴミの子供(ストリートチルドレン)なのです。神様はなぜこのような子供たちをほおっておかれるのでしょうか?

エスタは孤児達を救うことが神様に示された自分の使命だといいます。彼女は残りの人生のすべてをこの仕事にかけています。彼女の強い意志はどこから来て、これほどまでに言い切れるのはなぜでしょうか? そこにはエスタの壮絶な人生がありました。すべては、彼女が5才で路上に捨てられるところから始まるのです。

著者について

原作:Jeremiah Braggは、米国からアフリカへ渡り、プロテスタントのキリスト教宣教師として、聖書に従った癒しの祈りと福音をアフリカの人々に伝えている。興味深いのは、彼が初めてウガンダに渡来する時、「神様、わたしは誰に会えばよろしいでしょうか?」と尋ねたところ、「エスタと言う女性に会いなさい」と聴こえたそうだ。そして、その預言通りに、彼はエスタと出会った。彼はエスタの苦難の道程を驚き聴きつつ、彼女の回答を基に記録したのが本書の原書となった。そして、彼はエスタに洗礼を授けた。いま神様は、エスタ・タカという若い女性を使って、ウガンダの子供を救済し、村々の人々をもキリストに変革していると。

訳者:藤重 悟は、2018年1月に妻をスキルス胃ガンで亡くし、その年の桜の咲く頃、まるで神が与えた運命の様にエスタ(本書の主人公)に出会った。友人達によく聞かれる。「なぜウガンダなの?」「日本にもたくさん助けて欲しい人がいるでしょう?」その問いに私は「それはもっともです」と答えるしかない。だがしかし、もう出会ってしまったのだ。私の目の前の人は誰でもないエスタだった。現れた彼女と彼女の運命が私を駆り立てた。始めて踏んだウガンダの大地は赤だった。井戸の水は透明だったが鉄分で血の味がした。彼女の周りには沢山の孤児たちがいた。その赤い台地の上に私は孤児院を建てることを決意した。

光を掴んだ、捨て子少女の体験記【Amazon】
(この書籍に利益はありません。基本的に紙と印刷代です)

 

カンパラへ捨てられる

私はエスタ・タカ。

ウガンダのキジョン村で生まれた私は、祖母に

「あなたは私たちの家族ではないよ。」

と言われました。

双子の兄アントニは飢えと病気で3ヶ月で死にました。私達は母親を知りませんでした。

私とアントニが生まれて9ヶ月のときに、父は、「おまえは家族では無い」と言って家を出てゆきました。

父は母が別の男性と関係した子供だと言いたかったのでしょう。

それで祖母は、残っていた5才になった私をカンパラ市内に連れて行きました。

そして「水を買ってくるからこのベンチで待ってて、エスタ」と言いました。


長い長い時間を泣いて待ちましたが、祖母は帰って来ませんでした。

ひとりの男性が近づいてきて「なぜ泣いてるの?」とたずねました。

すべてを説明すると彼は私を家に連れて行きました。

その家に泊まり、彼の家族はとても幸せそうでとても良いなぁと思いました。

そして1週間がたったころ彼は仕事で家をしばらく離れることになりました。

すると彼の妻が私に服を脱ぐように言いつけ、

私を殴りながら水を注いで、彼女は質問しました。

「あんたの母親はだれ?」

ほんとうのことを話しましたが彼女はそれをぜんぜん信じません。

毎日殴られ、家の掃除、衣類の選択、料理、をさせられつづけました。

妻の夫が帰った時だけ妻は私を洗い新しい服を着せました。

そして彼に何か話したらあんたを殺すと言いました。

彼は私にたずねます。

「元気にしてたかい?」

わたしは「はい」と答えました。

路上に住む

そうして2年が経ち私は7才になりました。

ある日、妻は私にごはんを作りなさいといいました。

わたしは火の上に洗ったお米のお鍋を置き、

外で服を洗濯している間にお米が燃えて焦げ臭くなってしまいました。

妻は非常に怒り出し

「なんで燃えてるのを知らないの?」

「この焦げたご飯を食べてみなさい」

と言いながら硬いコップで私を叩き始め、

ナイフを取って私の耳の一部を切りました。

血が止まらず妻は近くの診療所へ連れて行く前に、

「あんたは絶対に話すんじゃないよ」

ときつく言われました。

医者が包帯を巻いてくれましたが。

もう我慢できずに、

私は数少ない自分の服をかき集めてその家から、

その夜逃げ出しました。

そして行くあての無い私は、

カンパラのスラム街に住むようになったのです。


深夜にスラムに着いた私を待っていたのは、

14~17才くらいの女の子たちでした。

彼女たちは私の紙袋を盗んで逃げたので私は追いかけました。

すると

「あんたはどこに行くの?」「どっから来たの?」

といろいろ質問したので私は私の事情を全部話しました。

彼女たちは紙袋を私に返して

「一緒に来る?」

と言ってくれました。

そこからお金になる生活方法を彼女たちから教えてもらったのです。

それはいろいろな悪いことでした。

ほんとうに路上生活は簡単ではありません。

生き残るために、盗む。嘘をつく。

通りを歩く人はだれでもお金を持っているように見えました。

どうやって盗めばよいのか悪いことをいつも考えます。

だんだん上手になる自分が嫌いですが、しかたありません。

スーダンへ

15才になった頃、

女の子同士3人で小さな鍵もない部屋、寝るだけの部屋
を借りました。

(そこにはベッドも無いし、椅子も無いし、何も無かったです)

ある夜、男が入ってきて私たち3人を強姦しました。

私は妊娠してしまいました。

日が経つにつれお腹も大きくなり盗むことが困難になり、

私の人生はますます苦しく難しくなりました。

家主は私たちを部屋から追い出そうとしました。

私の女友達の家に泊めてもらうことが出来て、

そこで赤ちゃんを生むことができました。

女の子でした。

しかしその家を追い出され、友達は売春婦になり、

わたしは外で暮らすようになり、

赤ちゃんは飢えて病気になりました。

 


ある日、

孤児の家を持つ人が、

私と赤ちゃんを見つけて保護すると言いました。

この書類にサインしなさいと言われましたが、

その文字を読むことが出来ず、

書くことが出来ず、

なにをしているのかわからない手続きのうちに、

その人は私の赤ちゃんを連れて行きました。

結局、

私は私の赤ちゃんを捨てしまったのだと考えました。

そしてお金の為に盗んで、

薬を飲んで、

大麻を吸って、

お酒をいつも飲むようになりました。

私はいままでよりもずっと悪くなって行きました。

恐れが無くなり、

なにも気にせず、

人々を打ち負かして生きることを選びました。

わずか17才でした。

食料のためにお金を稼ぎ、

服を買うために生きました。

たぶん私は売春婦のようにみえたかもしれません。


同じスラムの子らとグループを作りギャングになりました。

あるとき、男に薬を飲ませ、

彼のお金を盗みました。

クラブであった男を打ちのめし、

彼のお金をひったくり彼の家の物を全て盗みました。

そしてある夜、

私がバーにいた時、

連れ出され、

仕返しの為に蹴られ殴られました。

警察が来て病院に運ばれ医者と看護婦が私が死んでいると思い、

殴った人々に彼女は死んだと話しました。

しかし私は死んではおらず3ヶ月間入院していました。

退院して、

まもなくソーニャと言う女性が

夫のレストランを手伝わないか?

と誘われました。

そして、スーダンに行き、

ウェイトレスと食器洗浄して働きました。

それは良い給料をもらえてとても良い仕事でした。

しかし、ある日、

警察が来て

「このレストランで違法なことが起こっている」

と言い放ち、

その場所の全員が逮捕され、

私も逮捕されました。

偽造のお金が使われていたのです。


刑務所へ

私は3ヶ月刑務所にいて、

それから警察は別の家に連れて行き奴隷として働かさせ、

毎朝、警官が私を起こして殴ります。

私は

「いつここから解放されるのですか?」

と聞きました。

すると、

「お前はウガンダに追放される」

と答えました。

警察は

「お前のウガンダの連絡先を言え」

と言いましたが

連絡先は無いと言うと、

お金を要求して来ました、

しかし、お金もないので、

彼らはまた私を殴り刑務所に送りました。

3ヶ月後、

彼らは私をやっと解放しました。

逮捕された別の人たちはお金を払っていたので

既に出ていました。

刑務所から出た時、

私は何も持っていませんでしたが、

フレンドリーな警察官が彼の母の家に私を連れて行きました。

しかしこのままウガンダに帰れなかったら、

自殺しようと考えていました。


  • 名前     Namutebi Ester Taka
  • 生年月日   1991年10月25日
  • 出身地    マサカ村
  • 身長     154cmぐらいで小柄です。
  • 仕事     キリスト伝道と祈りの癒し、ストリートチルドレンを助け出します。安心して眠れる場所と食事を差し出します。
  • 居住 2018年夏:Makinrye村の小さなアパートに元ストリートチルドレンの2人に少年と一緒に暮らしています。
       2019年春:MankindyeのLuwafuに賃貸ですが46人の子供達と住んでいます。
  • 肩書     Tine on the Mountain ministriesの議長
  • 学校     行ったことがありません。けれどTLR(The Last Reformation)のPioneerスクールで大事なことを沢山学びました。
  • 特技     絵画、髪結い
  • チャームポイント   眼


カンパラにもどる

わたしは椅子の上に立って、天井のファンの周りにロープを縛り、首の周りに片方を結びました。椅子を蹴ると紐が首を絞めつけました。意識が消えかけた時にファンが急に回転を開始してそのブレードがロープを切断して私は床に喘いで落ちました。死にたいのに死ぬことが出来ませんでした。

ウガンダに帰りたい、帰るために、知り合った女性に「お金を貸してくれる?」と聞きました。するとその息子が私と結婚したいと言い出しました。私はだれとも結婚したくありませんでしたが、その女性は息子のために結婚式の計画をはじめたのです。息子の名前はジョンソンと言い、金のネックレスを買ってくれました。

彼に感謝し、心の中で神様に感謝しました。彼の母親と話して市場へ出かける用事を作り、その市場で私はネックレスを売り、そのお金でウガンダ行きの夜のバスに乗るつもりでした。しかしバスは来なくて、ジョンソンが銃をもって探しに来ました。恐怖で一杯になり朝まで隠れてやっとバスに乗ることができました。ウガンダまで16時間の旅でした。

ウガンダに戻りゲットに行って寝る場所を見つけました。(ゲットはスラム街の孤児が寝るぼろ家です)ネックレスを売ったお金の残金をまだ持っていたので女子供25人が一緒に住む家賃として3ヶ月分を支払いました。再びマリファナを吸ってギャングをはじめました。そしてまた、クラブの男性に薬を服用させて眠ったあいだに色々な物を強奪しました。

ある日、コーナーストーンと言う組織の男性が私にお金を与えて、家に帰るように言いました。私には家がありませんから2週間後に彼に電話をしました。彼は私を助けることに決め、私を彼の家につれてゆき、そこで食べ物、服、ベッドをくれました。そこに住んで薬をやめ、リハビリを始めました。しかしこの組織がなにをしているのかわかりませんでした。そのうち、私がマリファナを吸っている女の子35人にマリファナを止める様に言いましたが、彼らは止めたとウソをついたけれど、バレて私もそこを出る羽目になり、またゲットに戻りました。

カレンとの出会い

それからしばらくしてカレンという女性に会いました。彼女は私にどんな生活していたのか尋ねました。私の住むゲットーの家は汚れた床があり、雨が降ったときには水が洪水のように家の中を流れたと話すと、私に自分の家に来るように言いました。彼女が持っていた高そうなカメラを見てこれを盗むことができると思ってOKし、10人の女の子と一緒に行きました。

カレンの家は教会が運営しており、カレンはそこに住んでいる人々を世話するために教会にお金を寄付していました。ある女性が立って「エスタと彼女のグループのために神に感謝しましょう」と言い、私に立つように言ったので、立ってみんなに感謝しました。すると私に50ドルくれました。なので私はカレンの部屋で見つけたカメラとノートパソコンを盗まない事にしました。私たちは建物を出て家に帰りました。女の子たちは外で多くの盗み、市場ですべて売っていました。

(写真はカレンさんのイメージです。本人ではありません:フリー画像) 
カレンは2日後にまたゲットーに来ました。彼女はアメリカに帰るので私たちに教会の家に来て滞在して欲しいと言いました。教会が私たちの面倒を見てくれると言いました。25人の女の子たちが家に行きましたが2ヶ月後には私ともう一人の2人になり、ついに私ひとりになりました。

しかし教会はカレンに女の子がまだ大勢いるのでお金を多く贈るようにウソを言っていることを知りました。ある日、牧師は私に、私の人生の良さについて教会のみんなにマイクで話すように言いました。私は家を世話してくれた女性(カレン)は、私がこの教会にいて彼女が喜んでくれていると言いました。しかし私がこの家にいてなぜ幸せを感じなかったのか、なぜ私を奴隷のように扱ったのか を人々に話しました。すると牧師はマイクを切りました。

ある日、私が教会に行くと、彼らは愚かなアメリカ人女性からさらに多くの収入を得ることができるように議論していました。私は邪魔をしたくなりました。私は彼らの為にお茶を作りましたが私には愛が無かったのでガラス容器を落として壊しました。そうすると女性が私を皿で殴りはじめ、牧師と教会のグループがキッチンに入って来ました。私はその女性と戦っていました。彼らは私になぜあなたは争っているのか?と聞きました。私は彼らに「カレンから盗んだ泥棒の束に過ぎない」と言いました。すると彼らは私を捨てました。そしてまた45人住むゲットへ戻りました。

3ヶ月後、カレンはウガンダに戻って来ました。そうすると教会のグループも私のゲットに来て、この前のトラブルは無かったことにしよう。だからみんな戻って来て下さいとと言いました。これは教会がカレンに対して特に問題が無かったように見せたかったからです。

私はカレンに会って全てを話ました。しばらくすると彼女は私に電話で私と住まない?と聞きました。私は彼女の家に住むために行きました。そこには4人の少年がいました。カレンは私たちに教え始めました。少年たちは学校へ行かせて、私はカレント共に人々のために祈り始めました。教会の人々はみんな腐っていたので、カレンは教会とは何の関係も無いと言いました。

彼女と一緒に聖書を読んで話し合いました。なんども私は聖書から逃げようとしました。それは自分自身を「キリスト教徒」と呼んでいた多くの人が私を傷つけていたので信用できなかったからです。しかしカレンはイエスを心から信じる本当のクリスチャンでした。だから私はカレンを信頼し始めました。そして6ヶ月間カレンと住んでいました。その間、私は自分が何をしているのか、それが何を意味するのかよく分かりませんでしたが、私はキリストを受け入れました。

再びスーダンへ

ある日、ある女の子がスーダンでの仕事の話をしました。毎月200ドル支払うと言いました。それは多額で魅力的でした。そして私はスーダンに行き、そこで出会った家族と住みました。そこで家族の彼らと肉を売り毎日50ドルを稼ぐことができました。そして1年が過ぎました。またある日、女の子がウガンダのカンパラで私と一緒に衣装販売のビジネスをしないかと言いました。私は彼女を信頼して毎月ビジネスを開始するためのお金を送りました。彼女はビジネスを始めたと連絡してきました。私は彼女の住まいを見つけてくれるように依頼しました。そしてベッドも冷蔵庫も購入するためにお金を送りました。

私はウガンダにバスで戻ると言うと彼女はバスステーションで待ってると言いました。私がそこに着くと彼女は現れませんでした。なので私は以前が私が借りていた家にボダボダ(バイクタクシーのこと)で行くと、そこに彼女はいました。彼女は会えたことを喜んびましたが、彼女はビジネスもしておらず、家も借りておらず、送ったお金も全部すてきな服やクラブで消費してしまっていたことが判りました。私はお腹が空いていたので食べ物を彼女に頼みましたが彼女は何も持っていないと言いました。全て彼女は自分自信の為にわたしのお金を使い切っていました。

私は神様にたずねました。「私は何がまちがっていますか?」すべてのものが良く見えたのにすべて崩壊してしまいました。

私はまたスーダンで住んでいた家族のもとに戻りました。そこでまた肉を売る仕事を再開しました。ある時、私をどこかでみていた男性がいました。彼はジョンソンです。ジョンソンは私と結婚したいと言いました。もし私が結婚を承諾しなければ私を殺すか、私の顔を傷つけて誰とも結婚できなくさせると言いました。しかたないので、私は彼の母親と一緒に住んでいた彼の家に行くことに同意しました。しかし私は数日後にジョンソンから抜け出してウガンダへ逃げかえりました。同時に肉の仕事も辞めなくてならなかったのです。

ウガンダに戻り部屋を借りました。しかしゲットの女の子2人が私の部屋を見つけて、私のお金をすべて盗りました。 私はまたマリファナをはじめていました。そして私は病気になり1ヶ月間入院しました。退院してゲットに戻りましたが、私はまた人生にうんざりしていました。お金も無く、食べ物も無く、眠る所もありませんでした。

もう一度、自殺しようと考えました。薬を手に入れて一度に多量に飲みました。3日間眠っているところを発見されて病院へ1週間入院しました。またゲットに戻ってある女性と一緒に住むことにしましたが、ある日その女性は過剰の薬を服用して死んでいました。警察が私に質問しに来ることが予期されたので私は逃げました。それは私が身分証明書も無くて信用してもらえないからです。

ナイロビへ

私はバスでケニアのナイロビに着きました。そこでテディという男に会いました。彼は私を自分の家に連れて行きました。プールがあり、自分の部屋もありました。彼はプロテスタントで日曜日には一緒に教会へ行きました。テディは私にマリファナを売って一緒にビジネスしないかと言いました。もっと強く、マリファナビジネスをしないと家から追い出すとまで言いました。私はストリートにまた住みたくなかったので、それをやると答えました。

私たちはマリファナを売るためのしかけとしてレストランを始めました。私はマリファナのたばこを巻いて準備する適切な方法を心得ていたので私たちは沢山のお金を稼ぎ始めました。レストランには沢山の車が駐車していて警察が不振に思いはじめました。

調査が始まり、何日も警察官がレストランに来ました。そして彼らはレストランがマリファナを売るための表玄関だと判り、襲撃が行われ、テディが逮捕されたことを知りました。ちょうど私は建物の外にいました。身を隠すためにイスラムの服を着て逃げました。警察は私の名前をリストに挙げて探しましたが、私は身分証明書を持っていなかったので誰も私がだれだか分かりませんでした。そして私はナイロビを出て、カカマガという村に着きました。

カカマガへ逃げる

私はマリファナを売って儲けたお金を持っていたので3ヶ月間、2部屋の家を借りました。私はそこで私が出来る事があるか知るために村の女の子をを招待して情報を得ました。私はそこでネックレスを売ることに決めました。私は10人の女の子とネックレスを作って売るビジネスをはじめました。私たち全員がお金を稼ぐようなり、まもなく村全体が私のことを知るようになりました。そしてある地方の牧師が私の所に来て、私に教会に来るように言いました。

教会の地下でビジネスができることを彼は私に伝えました。彼は私達を助けると言いましたので私たちはその地下室へネックレス制作の場所を移しました。しかし私はまちがいました。それは彼が私たちのビジネスからお金を得ようとするためでした。牧師は私たちをだまし自分自身を豊かにすることに興味があったのです。

女の子と私はすぐにそこを出ました。ビジネスが本当に大きくなり沢山のお金を稼いでいたので政府に登録しなければならないと言われました。しかし私は読んだり書いたりする方法を知りませんので、教育を受けた女の子に頼みました。彼女は同意してフォームに記入しましたが、それは私をビジネスから追い出す事になりました。彼女はフォームに自分の名前を書いたのです。私は一人で家に帰りました。

一週間後、他のすべての女の子が私の元に帰って私と一緒に仕事がしたいと言いました。ですから私はほんとうに大きな家を借りて、6ヶ月間の売春ビジネスを始めることに決めました。しかし警察に気づかれてそのビジネスを止めました。彼らは私がケニア人で無いことに気づき、私を国から追い出しました。

カンパラへもどる

数か月後に、私はまたゲットに戻りました。そこにはグレイスと言う女の子がいましたが彼女はHIVで死んでいました。私は警察に電話しましたが、彼らは死体について感知しませんでした。グレイスの妹が姉を両親の元へ送るよう、私に頼みましたが私はお金が無かったので、私はストリートに住む子供達に頼んでお金を集めてもらいました。彼らのおかげでグレイスを村まで運ぶお金を得たのです。(子供達はもちろん盗みなどでお金を作ったに違いないです)

私と子供達はシートに包んだ彼女を安い木製の棺に入れてタクシーの屋根にロープで縛って彼女の村へ運びました。村まで9時間かかり午前中に到着しました。彼女は死んで1週間経っていましたので身体が腫れていました。両親は彼女を埋葬しました。しかしその間に子供達がいろいろ盗み始めたので、村人が集まり、子供達を殴り始めたのです。私は子供達を急いでタクシーに乗せてウガンダのゲットに戻りました。

そのころ、45人で住んでいたゲットは、女の子には不向きだと言う理由で、警察が彼女たちをすべてゲットから追い出しました。警察はグレースが死んだのは45人も住んでいたから(混雑していたから)それが原因だと言いました。私は地元の議員の所へ行きました。私たちはゲットに戻る必要があると彼に訴えました。それはストリートで寝ると私たちは強姦され殴られるからです。評議会は家主に話してゲットに戻ることに同意しました。私はゲットでの人生に疲れていたので幸せではありませんでした。

私はイスラム教徒の服を身に着け始め、イスラム教徒になることに決めました。私は本当にイスラム教徒であることが好きでした。なぜなら、寺院に行ったとき、いつも新しいペアの靴を手に入れることが出来たからです。誰もが寺に入ると靴を脱がなければならず、私は靴を自由に選べたのです。財布やその他の物も盗むことができて大好きでした。人生は良かったです。

ある日、イスラム教徒の女性が私に彼女のために働くように頼みました。私は「はい」と言いました。彼女の店で寝ることが出来て、月に33ドル支払うと言いました。私は4ヶ月働きました。しかし彼女は私にお金をくれません。私は彼女に給料を支払う必要があると言いました。しかし彼女は問題ないと言いました。

私はイスラム男性と店の契約として3ヶ月を結びました。そして5ヶ月間働いて、私は稼ぎました。女性が店が転売されたことを知った時、とても怒ってイスラム男性を見つけ私も殴りつけられました。警察が来てなぜ殴られたのか聞きました。私は全てを話ました。私は病院へ払うお金も女性に要求しました。警察が居たので女性は支払いました。

そしてまた私はゲットへ戻りました。そうすると今度は、魔女の薬を持っていると言う医者にであいました。私は彼が嘘つきだとすぐに分かりましたが、彼とビジネスをすることに決めました。私は人々を彼の所に連れて行き、私たちはお金を分けました。私たちはチームになり沢山お金を集めたのでマリファナを吸い始めました。私は彼と3ヶ月間働きましたが不正行為に疲れてやめました。しかし私が魔女の医者と付き合っているのを多くの人が知っていたので私は多くの人から殴られるようになっていました。

私は一人でマリファナの販売を始めました。しかし警察はたったの1週間で私をを突き止め、刑務所へ入れました。警察は私を尋問しましたが、私はマリファナと関係ないと嘘をつきました。警察は私を試すために釈放しました。私はもう一度、自殺することに決めました。このとき私は20才です。薬を買いました。沢山飲んでマリファナを吸いました。誰かが私を見つけて病院へ運びました。2週間寝続けて医者たちは私がダメだとあきらめました。私はベッドで寝ている間に力を与えられてついに目覚めました。私が最初に医者に尋ねたのはマリファナでした。

病院がゲットよりもはるかに良い場所だったので私はここに留まりたいと医者に言いましたがここに住むことはできないと言われて追い出されました。またゲットーに戻りました。私は自分を殺すことに3回失敗したのです。本当に嫌な気持ちになりました。私は別の国へ行くべきだと決めましたがお金がありませんでした。また私は盗み始めました。永久にこんな人生が続くと思っていました。

誰もが私をストリートキッズのリーダだと知っていましたので、だれも私と関係したくありませんでした。私は教会へ行き、牧師に「私は人生にうんざりしている」と言いました。牧師は2週間教会の建物で寝ることが出来るよと言いました。私は教会で住むことにしました。ある夜、教会のキーボードを盗みにきた男がいました。彼は私が寝ていることを知りませんでした。警備員が来ました。私は気づいて男にストリートの子供!と叫びました。警備員は弓と矢で少年を撃ちました。彼が死ぬまぎわに「タカ助けて」。。彼もまた私を知っていました。

警備員は私も彼の仲間だと思いました。教会の人々もそう思いました。私は牧師に電話してください。私は関係ありません。しかし彼らは私を信じませんでした。だから私は教会のマイクを盗むことにしました。マイクを盗んで持っていた時に牧師が来ました。牧師はマイクを返すように言いましたので返しました。

私は撃たれた少年を見るために病院へ行きました。ゲットに戻って彼が撃たれたことをみんなに話しました。私たちは警察に24ドル支払って彼を引き取りました。埋葬できる場所をさがし私は自分で穴を掘りました。布で体を包んで穴に置きました。そしてまたゲットに戻りました。

強盗のいちみになる

ある日、男がゲットにやって来ました。彼は私たちに取引を申し出ました。私と3人の子供達と契約を結びました。その仕事は沢山のお金を儲けることができるものでした。ホテルの警備員も参加している盗みの計画でした。そして実行の日が来ました。私たち4人は真夜中にホテルへ行くとその警備員が門を開きました。その時が来るまで待つように指示されました。私たちは待っている間に眠ってしまいました。いよいよ深夜になって子供3人が目覚め予定通り「お金の袋」を盗み出し彼らは待っていた仲間のクルマに積み込んでいた時に弾丸が飛んできました。仲間の警備員が先に撃たれ、2人の運転手の内1人が殺され、3人の子供達も撃たれました。

私だけがホテルで眠っていました。2人目の運転手がクルマで逃げようとしましたが警察が彼を捕らえました。捕まった運転手がみんな死んだと言いました。しかし私だけが生きていました。私はホテルから抜け出し近くの村の”泥炭池”へ隠れました。警察が私を追って来たからです。私は村家のドアをノックして助けを求めました。彼らは私に水や食料と寝る場所を与えてくれました。私は警察が探し続けていたので3週間村に滞在しました。村の助けてくれた人は私お金をくれて家族を探しに行きなさいと言いました。私の家族はストリートキッズだけでした。

私は村を出てゲットの子供と連絡をとりました。子供達の多くは撃たれた友達を見るために病院へ行くと逮捕されたと聞きましたので私は行かないことにしました。ゲットに戻り3人の子供を埋めるためのお金を探して集められた後に、私は警察に行きました。彼らは私にいくつか質問をしましたが、私は決して子供達の名前を言いませんでした。そして3人の死んだ子供のためにお金を贈り私はゲット帰りました。

その後、政府の代表者と政治家がゲットにやって来ました。警察のチーフは私たち全員ストリートの子供を集めました。彼は私がリーダだと知っていたので貴方達は「生まれ変わる必要がある」と言いました。彼は聖書を出して私の手を挙げさせて私が再び盗むことが無いと誓わせました。私は彼に尋ねました。「私がマリファナを辞めて盗むのを辞めたら何をすればよいのですか?」 彼は答えました「盗むのを辞めれば政府はビジネスを始めるお金を与えるだろう」「ストリートキッズはマリファナを辞めて盗むのを辞めたらビジネスが始められるから待つように」と言われました。私たちは2日間待ちました。しかしお金は決して来ませんでした。

わたしはまだ何か始まるのか恐れていました。夜に眠れず生きて行くことが非常に困難になりました。私は狂ったようにマリファナを吸って何もしたくありませんでした。そんな時にキリスト教グループが来ました。彼らはストリートキッズに説教をはじめました。世界を愛する神とイエスがどのようにしてくれたか福音を教えてくれました。私はマリファナを吸いながら彼らの話を聞いていました。「神は私を愛してくれました」と言う言葉に耳を傾けていました。私は怒りがこみあげました。私の人生はなにですか?神が私を大切にしてくれましたか?私はただのストリートの子供です。グループの女性に神の愛とは何ですか?と尋ねました。けれど彼女は私をみて「神はあなたを愛しています」と言いました。

私は出ていけ!と言いました。私は神を憎み始めイエスを責めました。私はすべてのクリスチャンを憎み始めました。私は自分自身も大嫌いでした。私はストリートキッズ達を殺人者に訓練するかもしれないと思い、私には神が居ないかもしれないと考えました。私は教会から物を盗み始めました。私はクリスチャン達が私ほどの痛みを持てばいいと望みました。

私はマリファナを吸いながら神と話しました「神様、もしあなたが私の人生に本当に何かをしますか? あなたが豊かな人や善良な人だけを愛しているのにどうして街の子供達を作ったのですか? 私がどこにいるのか知る必要があります」などたくさんの質問をしている内に、私の目から涙が流れ始めました。その夜、誰かが私を美しい場所に連れて行ってくれた夢を見ました。私はこの夢の話を友人に話すと彼らは、ただ私を笑いました。私はいつまでもストリートの子供じゃないと彼らに言いました。

2章

ジェニファーとの出会い

私はまだホテル強盗のことで、まだ警察が探していることに恐怖を覚えていました。しかし私の写真はありませんし身分証明書も持っていないので私がだれだか警察には判りません。けれどもゲットに住んでいるみんなは、私が何をしたのか知っていました。彼らの誰かが警察に話すかもしれないと不安と妄想で強いストレスを感じていました。私は逃げ出したいと思っていいましたが食べ物もお金も何も持っていません。いつも女の子たちと口論し戦っていました。疲れて病気になり恐怖で生きていました。私は狂うかもしれないと思いました。

ある日、アント・ローズと言うイスラムの女性がメイドを探しにゲットにやって来ました。私を連れて行って欲しいと頼みました。彼女は私を雇うことに同意して次の旅がはじまりました。ローズはマシデ:Masidiと呼ばれるカンパラから遠い村に住んでいました。彼女の家は非常に大きくて驚きました。ローズはチャールズと結婚し3人の子供、すなわち4才のハッピー君、6才のチャリティーちゃん、10才のナカトルスちゃんが居ました。そしてナルガ叔母とイシャという祖母と一緒に住んでいました。祖母のイシャは歩くことが出来ず車椅子でした。私はこの7人のメイドになりました。ローズは毎月33ドル支払うと言いました。私は自分の寝室も与えられ、その夜はとても眠ることができました。

 

朝、家族全員に会い、「あなたは外の誰とも話してはいけない」と言われました。私は問題ないと思いました。朝は、子供と祖母の食事を用意して、子供達を学校に送って帰ったら、家を掃除し、衣服を洗っいました。昼は、昼食を用意して、家から500m離れた井戸から毎日20リットルの水を運ぶ仕事がありました。それはとても重くて5リットルずつ4回往復しなければなりませんでした。それは4時間かかりました。床用、シャワー用、洗濯用、調理用の水でした。そして夕食を作り、皿を洗います。これら私のルーチンワークでした。とても疲れましたが、村の誰もが私を知りませんでしたし、私は身の危険がないと安心出来ました。徐々に恐怖心が消えて行きました。

私は中庭から外を眺めることができました。通りには村人が行き交い彼らをみていましたが誰とも話しませんでした。ある日、女の子と話すチャンスがありました。彼女はジェニファーで15才だと言いました。私たちは友達になりました。そのうちジェニファーは私に沢山の疑問をぶつけるようになり、私は不快感を感じ始めました。私はこれがローズが私に他人と話してはいけないと言った理由だと思いました。私はジェニファーと話すことを避けようとしましたが、彼女は話して来て、私に元いた所へ戻るように言い続けました。彼女はおしゃべりができる隠れた場所を知っていました。だから私は家を離れてジェニファーと会い、なぜ、家を離れた方が良いのか尋ねました。すると彼女はその家で悪い事が起こったと言いました。私は家に何の問題も見当たらず、ジェニファーが何を言っているのか理解できませんでした。これ以上の質問をする前に、家のナルガ叔母さんがやって来ました。そしてナルガはジェニファーを見て、私を家に連れて帰りました。ナルガは私を外の人と話してはならないと叱責し、決して二度としないように注意されました。

毎晩わたしは床をモップ掛けしていました。しかし決して入ってはいけない部屋がありました。ドアに鍵がかかり入れないようにしてありました。それは私にとって ”禁止された部屋” でした。私の好奇心はその部屋に何あるのかとても興味を持ちました。もしかするとジェニファーが言った ”私にこの家から出ていく理由” と、この家で悪いことが起こる理由かもしれないと思いました。

掃除のあと、私は午後8時ごろに家族の夕食を準備します。夕食が終わったら祖母のイシャを寝室に連れて行き、皿を洗います。ですので通常、午後10時まで仕事をしていました。ある夜、私の好奇心はあの部屋のドアの向こうになにがあるのか知りたいと思いました。その夜、私は眠れずに、家族のだれもが眠ってしまうのを待ちました。深夜になると家が静かになりました。わたしは禁止された部屋のドアに行きました。ドアには南京錠が掛けられていましたが、私は細い棒を突っ込んで壊した時に大きな音が出てしまいました。その音を聴いて起きたローズが目覚めて、家族の大人は起きてしまいました。祖母のイシャも車椅子で乗り込んで来ました。彼女は私を解雇しなければならないと怒り、ナルガ叔母さんも私を他の場所へ連れて行かなければならないと言いました。ローズはナルガに私を解雇しないでここに留まって欲しいと言いました。彼らは混乱していましたが、最後にローズは私に、二度としないように言いました。私は「はい」と言いました。しかし私はこの部屋についてさらに深い疑問がわきました。ですから私は家族のだれがこの部屋の鍵を持っているのか観察していました。すると祖母のイシャが鍵を使って入るのを見ました。その夜みな寝静まった頃、私はイシャの部屋から鍵を盗んで、ゆっくりドアを開けました。部屋はとても暗かったので・・・続きは、光を掴んだ、捨て子少女の体験記

  

 

内容紹介

生きる希望を失って死にたい人が日本にはたくさんいる。
重病人や高齢者だけではなく、大都会東京にも多くの若い"ネットカフェ難民" 達がたむろっている。彼らは自業自得で、ただ処分を待つだけの野良猫や野良犬のような存在なのだろうか? 彼らに這い上がる未来はないのだろうか? もう一度、幸せになる希望を持つことは赦されないのだろうか? ”お金ではない何か本物”を掴むことはできないのだろうか? 彼らに神が微笑む日は来ないのだろうか? この本は、5歳から22歳まで東アフリカの路上で、極貧と犯罪の中で暮らした女性の姿が綴られている。彼女は生きるため嘘をつき、盗み、逃げ、数えきれないほどの罪を犯した。『わたしは一刻も早く自殺するのが相応(ふさわ)しい、ごみくず同然で、自分が大嫌いで、神を憎み、誰もわたしを助けてなんかくれない』と語っている。しかし内心、彼女はなんども神に助けて欲しいと願っていた。誰かに愛して欲しかった。しかし神など現れない。時折見せる彼女のさりげない優しさに触れながら私は読み続けた。そんな彼女の最悪の状況の中で奇跡が訪れる。それはもしかしたら『神の計画と言うもの』が私にもあるのかも知れない。死にたい人は彼女のように本気で神を探して見るとよいのかもしれない。暗闇からの出口の光を掴めるかもしれない。そう思わせる良書だ。ぜひ最後まで読んで欲しい。

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光を掴んだ、捨て子少女の体験記

 

 

 

 

-エスタ・タカ

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